終わって新しくはじまるつなぎ目

夫の父が亡くなって葬儀をしました

何年か前に離れた二人の友だちも来ました

義理を通して来てくれたんだと思いました

二人とも私を拒絶する顔で、言葉も私を拒絶していました

私は動揺しました

頭がそこで止まってしまい、今こそ別の機会を作って、会って私の本音を話した方がいいんじやないかなどとぐるぐる考えました

過去に戻されるような息苦しさにあっぷあっぷしていると、

あれ!この出来事、そういう意味じゃないよな!と目が覚めた

今私が感じてることは何か探っていくと

「古い私から新しい私になる」

元友だち二人はその頃の私=古い私を表している

今までの生き方を本当に絶ち切れるのか最後のテストのようだと思いました

いい人ぶって、人に合わせて不自由に生きてきた古い私ときっちり別れるとき

今こそ、断ち切っていい

今後義理を欠いてもいい

何て言われたっていい

今までは戻れたかもしれない

でももう戻りたくない

だから古い私と別れる

元友だちの態度に

思いっきり傷ついていいんだ

悲しくなって、みじめになっていいんだ

私の中に湧き上がるその感情を十分感じてあげる

私の感情を感じてあげるのは私しかできない

他の誰にも出来ないこと

自分を正当化する必要ない

言い訳もする必要ない

相手に逃げないで、自分のその辛い気持ちだけを十分感じてあげた

人を通して、全てが私を私に教えてくれてるとあらためてわかった

もう一つ

葬儀のとき私はきものを着ました

それは、嫁に来たとき家紋入りのきものをじいちゃんか買ってくれたからそれで葬儀に出たかったからと、太ってしまって手持ちのが着られなかったさからです

きものなら太ってても大丈夫だと思っていたら、ちゃんとサイズがあって、小さいのをなんとか着ました

3Lの人がMの服を着るようなものでした

夫はなんでもぴったりな表現をするのが得意です

その夫がきものを着た私を見て、バカボンみたいだ!と言いました

あまりにもぴったりだったので私は爆笑しました

目を閉じてバカボンを想像します

ほんとにそのまんま、浴衣か黒い着物がの違いだけです

さらに、草履がなかったので母のを借りました

それが小さすぎて、大人が幼稚園生のズックに足入れでる感じで、ムリだとあきらめサンダルで通しました

きものにサンダルなんてありえない!と準備できなかった自分にはじめは怒りが湧きました

でも、人の目を気にしてるから怒りが湧くけど、私が、これもありだよ!これでもいいじゃないか!と思うと全く人の目が気にならなくなる

でも、葬儀の場で、いろんな人が来るこの期に及んで、きものにスリッパ履きのバカボンの私

これ、どういうこと?

くそ真面目で、醜いもの、だらしない、汚らしい、みっともないのが許せない人目を気にする私を炙り出された感じ

だらしないこと、みっともないこと、太ってることが醜くて許せないのは、恥だと思っていたから

でも、だらしなくていいんだ

みったもなくてもいいし、

太って醜くてもいい、

そういうことを恥なくていいんだ

そう変えてみたら、

目の前の景色がパーっと開けた

古い私から新しい私へ

今までからこれからへ

終わって新たなはじまりへつながる

まさにつなぎ目のときだったとうんと思いました